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1998/08/01-2017/04/04

アイゼンシュタット(ハイドンゆかり)/Eisenstadt

エステルハージィ宮殿 ウィーンから南東方向へ約50km、人口1万人程度のアイゼンシュタットは、オーストリア共和国内九つの自治州中、一番東に位置するブルゲンランド州の州都です。帝政時代はハンガリー王国に属し、領主であったエステルハージー家(独)のお膝元として栄え、エステルハージー家に使えた宮廷音楽家ハイドンゆかりの地としても知られてます。

アイゼンシュタットに初めて行く場合は、プライベートガイドでの観光がお奨めですが、事前にしっかりと情報を集めれば個人で行くのも不可能ではないでしょう。

移動は、車なら南の高速道路を少し南下し、道路標示 Eisenstadt に沿ってアイゼンシュタットまで30分程度でしょう。公共移動機関での移動は、ウィーン中央駅から路線バスで1時間半程度でしょう。バス案内:Tel.:71101(7時-19時/独語)

プライベートガイド ブルゲンラントの地は、古来アジア民族とヨーロッパ民族の勢力の凌ぎあいから国境の地として不安定な時代が続きましたが、バーベンベルク時代が終わる13世紀から20世紀初頭の帝政崩壊の頃までハンガリー王国に属してました。

ハンガリー王国は、オスマントルコとのモハチの戦い(1526年)で領主のヤゲロ家が絶えると、西洋史でよく知られているハプスブルク結婚政策(日)によりハプスブルク家が領主になりますが、実際にはトルコ戦争が終わる17世紀末までウィーンの数10キロ東までハンガリーのほとんどがトルコ軍に蹂躙され続けます。

1世紀半続いたトルコ戦争後、当時ハンガリー王国だったブルゲンラント地方は、ハプスブルク家に仕え戦功の大きかったハンガリーの大貴族エステルハージ家の所有領となり、そのエステルハージー家が居を構えたことからアイゼンシュタットは城下町として栄えました。

エステルハージ家は、今でも65000haの領地を持つハンガリーの家系で、アイゼンシュタットのエステルハージー宮殿(独) もエステルハージの資産の内の一つだそうです。エステルハージー家のワッペンには今でもハプスブルク家のレオポルド1世のイニシャル「L」が残されてます。
※現在エステルハージーの資産は財団が管理

アイゼンシュタット最大の観光名所エステルハージー宮殿内部はガイドツアーで見ることができます(毎時・要予約)。内部観光での見どころは、ハイドンのためにエステルハージ公がそれまでの食堂を改造して作ったハイドンホールです。ハイドンホールは ウィーンに楽友協会・黄金のホールが出来るまではヨーロッパ最高の音響でした。今でもヨーロッパ最高の音響の演奏会場に数えられます。そこで エステルハージ宮廷音楽家だったハイドンが 多くの曲を演奏し、今でもハイドン週間にはハイドンの多くの作品が演奏されます。因みに日本人音楽家の長谷川弦氏が数十年来教鞭を取り、活動拠点としているのがアイゼンシュタットです。

アイゼンシュタットの見取り図
アイゼンシュタットの地図
アイゼンシュタットの観光名所は 全て歩いてゆける範囲内にあります。
ユダヤ墓地 ユダヤ博物館 ハイドン霊廟

上の左2枚写真は、アイゼンシュタットのユダヤ墓地と、ユダヤ博物館です。エステルハージ家はユダヤ人の定住を認め、その代わりに普通の3倍の税金を取って財力を貯えました。上右の写真は、ウィーンのハイドン公園から移されたハイドンのお墓。オリジナルの墓石はウィーン市内ハイドン公園に残ります。

エステルハージー宮殿(独)
ハイドン記念館
ハイドン霊廟
ユダヤ博物館
ブルゲンランド州立博物館

リストは当時のハンガリー王国 ・ 現在のブルゲンランド州で生まれました。リストの胸像は、ブルゲンランド州立博物館内に展示されてます。そこには、ハイドンが弾いたオルガンも展示されてます。

ハイドンのオルガン ハイドンホール リスト像

その他、ハイドン霊廟教会の裏側から教会の上まで登ると、ブルゲンランド州が遠くまで望めます。上まで登ってゆく間は、イエスの受難を現すリアルな表現の木彫群シリーズを見ることができます。

高崎守弘