トップページ話題の引き出し故・黒沢真澄(くろさわますみ)氏

2015/01/04

黒沢真澄(くろさわますみ)

1934年東京生、2007年10月28日(日)21時頃ウィーン没、享年73。糖尿病からの心筋梗塞。5才でデビューコンサートを開き神童と言われたヴァイオリニスト。ウィーン私立音大・旧音楽院(独/英)教授。オーストリア公認通訳案内士。

黒沢家は、元々は秋田県鹿角市の神主の家系。父親は、音楽学者:故・黒沢隆朝氏。

誕生一週間後に母親を失う。1956年からウィーンへ移住。ウィーン国立音大で学ぶ。ヨーロッパを股にかけた日本を代表する一流演奏家として活躍。ヨーロッパで「彼が音楽を選び、音楽が彼を選んだ」と言われるほどの音楽人生だったが、1962年の交通事故で手を痛め、2年間のリハビリ以後は、一線から退きウィーン劇場/Theater an der Wienオーケストラコンサートマスターを勤めた。その後ウィーン音楽院(現・ウィーン私立音大)で教鞭をとりながらオーストリア公認通訳案内士として活躍。

マイナス10度以下の風の強い日にベルベデーレ庭園でお客様を前に15分もオーストリアの歴史を語ったのは有名な話。言葉遊びが巧みで「ヨーロッパの人は自然が自然のままでは不自然と考える」「ウィーンの森はアルプスの東の尻尾」などは多くのウィーン観光客が耳にした言葉。晩年は日本人観光客だけでなく、ドイツ語の観光案内をして好評でした。

以上、2007年11月15日(木)15時からのクリムトやオットーワーグナーのお墓のあるHietzingerfriedhofのHalleにおける告別式で読み上げられた内容に一部付加したもの。

※黒沢隆朝(くろさわたかとも):明治28年4月〜昭和62年5月。秋田県鹿角市花輪生まれ。花輪小を経て大正6年秋田師範卒のち東京音楽学校(東京芸大)卒業。早稲田大学文学部講師、川村短期大学教授、東邦音楽大学教授、文部省教科書用図書審議委員(音楽部長)などを歴任。山田耕筰に師事して桑田つねし、藤原俊、藤村俊、西田徹、水田誌仙、水田詩仙などの別号を用い作詞、作曲の活動のほか、東南アジアの音楽や音楽起源に関する著作は数多く、黒沢学説と評価されている。

心から冥福をお祈り致します。高崎守弘