トップページ武田倫子の 「行った・見た・聴いた」カトラインダンス

カトラインダンス

 本年も華やかにニューイヤーコンサートで新年を迎えるウィーン。

 その流麗なワルツも2月27日=灰の水曜日の1週間前の木曜日=のオペラ座舞踏会で更に盛り上がる。今年の指揮者はサッシャ・ゲッツェル氏。400組が11月に選考され、当日17〜24才まで160組のデビュータントが静々と入場。彼らは100ユーロ払い、それで女性はクレーンヒェンと呼ばれる小冠を頭上に戴く。ランナーとシュトラウス(父)とによって芸術的に高められたワルツも、基は地方に伝わるレントラーから発展したものだった。バイエルン、チロル、シュタイヤーマルク、高・低地オーストリア等々(ベーメンからも入る)に大体16世紀頃からあったらしい。音楽の巨匠達もこのレントラーからの作曲を試みている。

 昨年のことになるが、11月30日シュタイヤーマルク州トロファイアッハの「カトラインダンス」に参加してみた。ウィーンコンツェルトハウスではアドヴェント=待降節=に入る前の土曜日が選ばれ(昨年で最後となった)、地方によっては繰り上げて祝うこともある。

 名の由来は4世紀/アレクサンドリアの聖カタリーナから取られ、典礼日が11月25日なので、この頃彼女が踊りを納めるそうだ。待降節に入れば騒ぎは控えるため、その前後は大いに踊ってもかまわない。各々、地方により踊り方も違い、民族衣装は見ているだけでも楽しい。かつて人前で抱き合って踊るなど、はしたないとされていた頃、男女が向き合い腕を交互に伸ばして踊る「フューリッツベングラー」も伝わっていて(これが後にレントラーに発展したという説もあり)、農村にだってちゃんとスタイルがあり、踊りを通じてのマナーがあったのが分かる。楽器演奏者達は自分の趣味・好きでやっているので、転調・移調など楽々朝飯前。100年以上の伝統を持つカトラインダンス。

 24時になると踊りは終り、待降節に入る。ろうそく1本に明かりが灯され、お話しがあった後、一同静かに、会した時を分かち合う。何か生きている意義を考えさせられるひとときだった。そしてこの時なぜか今や世界の社交場と化した感のある、華麗なるオペラ座舞踏会が頭にオーバーラップしてきた。ほんとうの豊かさって何なのかを思わせられる一夜だった。

2003年1月たけだのりこ