トップページ武田倫子の 「行った・見た・聴いた」難聴の音楽家ベートーヴェン

難聴の音楽家ベートーヴェン

 もし自分の周りから音が消えてしまったらどんな心境になるだろう? ベートーヴェンは3月26日嵐の日に56歳で亡くなった。直接の原因は肝硬変だが、電光により〈天に向かって拳を握った〉のは肝不全で死ぬ者は明るい光などの突然の刺激に過度に反応するという医学的見解がある。ハイリゲンシュタット遺書の家のデスマスクには一人の人間としての哀れを誘われる。

 ベートーヴェンの耳の障害について最近では耳硬化症(中耳の耳の骨の関節が硬くなり動きにくくなる病気)説が有力。本人が「耳鳴りが昼夜ゴーゴー鳴っている」と書いているように〈静寂さ〉からは、ほど遠かった。この鬱陶しさに加え、声や音を≪聴こう≫としての焦り・苛々にどれだけ悩まされたことだろう。(私達は全く聞こえない状態を想像しすぎている)。腸疾患もあったので平安でいられる方が難しい。

 彼の曲を聴いていると、これは耳鳴りをメロディにしてしまったのではないか?と思う所と、体調からも来るある種のヒステリー性をを感じることがある。反面ロマンティックな密度の高い作品に出会う時、体裁を捨てた本音と彼のやさしさが心の琴線に触れてくる思いがする。

 「月光の曲」はJ・グイッチャルディ嬢(ベートーヴェンの理解者であり, ハンガリー領主貴族であったブルンスヴィック邸で知り合う)に捧げられた。彼の若き日の甘く切ない思い出。憧れと満たされぬ心の鼓動の重いしずくが響いて来るようにピアノは展開してゆく。ブダペストから列車で行けるマルトンバーシャール邸はまさにこの曲のイメージそのままだった。

 もう一つ、同じブルンスヴィック家のドルナ・クルパ館(現スロバキア)を訪れたのは春の淡雪舞う3月だった。当時、本人はどんな気持ちでこの丘を馬車で越えて行っただろう・・・。屋敷横の離れに、作曲の館をもらっている。創作に没頭できたであろう、この恵まれた待遇−。邸内の広い庭を歩いていると、春の息吹と共に、芸術の生まれる、この時代の鼓動が思われた。。庇護した貴族達の心の許容力が無ければ不可能だった。

 難聴の中、真剣に音と取り組んだ人間に比して、私達は現実の中で〈ことば〉を含めての≪音≫をあまりにも心なく扱ってはいないだろうか・・・?

2003年3月たけだのりこ