トップページ武田倫子の 「行った・見た・聴いた」ベートーヴェンの〈不滅の恋人〉

ベートーヴェンの〈不滅の恋人〉

 演奏会では、最も取り上げられる事が多いベートーヴェンの作品群。とかく構えて聞きがちになるけれど人間的な面から入ってゆくというのは如何?

 −私の天使−で始まる〈不滅の恋人〉宛への手紙は7月6日、チェコのテプリーツェで書き始められる。『旅』がもたらす、時の空間に想像を膨らませながら、当時、彼が馬車で走ったであろう行程を辿ってみた。プラハよりローカルバスで峠を越えながら、北方へと90分ほど。『雨の中、ひどい道を急いだ』とあり、何ゆえ駆り立てられていたのか、そしてこの心情を抑えつつも吐露した相手とは? 青木やよひ氏の著書には複雑なその事情が説明されていて、アントニア・ブレンターノ説が取られている。ウィーン楽友協会古文書館館長/研究家でもあるオットー・ビバ博士に伺うと「私自身は、誰であったかという事にそれほど重きを置いてませんが…」との言。一理はありながらも、演奏頻度の高い、最後のピアノソナタ・作品111のロンドン版が、A・ブレンターノに捧げられている事から考えても、その内容の深遠さや、彼女が晩年近くに達した心境 − この背景を知る事によっては、聞く方も俄然、曲のニュアンスが異なって来る。

 そのテプリーツェとは−。 クラリー侯爵邸のある保養地で、そのイギリス庭園に、かつてオーストリア皇后を始め、政治家・文人達が集(つど)ったときもあった。彼が投宿していた通りや、ゲーテと会い、数々のエピソードが残されている壮大な庭園を歩いていると、ちょうど夕陽が木々を染めて、静謐さの漂う時間帯だったせいか、この大気に溶けてゆく彼のロマンをそっとしておきたい…という心境にもなってくる。

 ビバ氏は又、こうも語っている。「現在、私達はベートーヴェンの音楽を難しく捉えがちです。当時からもっと普通に演奏されていたものです」と。『孤高の人』というイメージが強いけれど、私達と同じように現実的な面で、頭を煩わせていた事も多かったルードヴィッヒの姿もあり。ビバ氏のこの示唆は、次代のベートーヴェン弾きの奏者にとって、もちろん彼の人生を研究した上での、何かキーワードとなってゆくかもしれない。

2004年6月たけだのりこ