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旧市街地の観光:オペラ座からシュテファン1/5
ウィーン旧市街地の観光はオペラ座から
歩行者天国ケルンテン通り入口に立つと、左にはホテル・ザッハー、右にはスターバックス(旧エアー・フランスのオフィス)がある。この場所には、江戸時代終わり頃に城壁が取り壊されるまで7つ(または8つ)あった、ウィーンの城門のうちの一つ、ケルンテン門があった。
スターバックスの2階の角に見つかる @「窓から覗く像」(Fenstergucker)のコピーは、ケルンテン門が取り払われた1861年にオリジナル像がウィーン市立歴史博物館に移されるまで、ケルンテン門・馬車門すぐ横の歩行者門上にあった飾りで、城壁の外に広がる郊外方向を眺めていた像である。かつてここに横たわっていた城壁については、このスターバックスの角からWalfischgasse を挟んで、道の反対の建物2階角に「ここに城壁があった」と書かれた A 記念プレートが残されている。城壁が取り壊されてから2次大戦まで、このスターバックスの角にはその名前を取った Cafe Fensterguker があった。
ウィーン名物ザッハートルテのおはなし
ウィーンの5つ星 B ホテル・ザッハーや、年間27万個 30万個(2006/1/11テレビpro7情報)も作られるザッハートルテの話は、よく知られた話だが、ウィーンの観光上避けては通れない。
サッハートルテの呼び名は、1832年にメッテルニヒのコック見習いだった16才の少年フランツ・ザッハーの考えたケーキをそう呼ぶようになったそうである。
当時、宰相メッテルニヒは、ヨーロッパの御者と言われ、絶大な力でウィーン体制(1815-48)を保持していた。ある晩、そのメッテルニヒの宮殿に大切なお客様が突然訪れた。深夜だったことからコックは居なかったが、見習いのフランツ・ザッハーが食事を出した。
料理は好評、中でもアンズのジャムを挟んでチョコレートコーティングしたチョコレートケーキは特に好評だった。調理人の名前がつけられたこのザッハートルテは、冷蔵庫が無かった当時でも、一週間経っても味が変わらないというので有名になった。フランツはそのケーキを息子エドゥアルドに伝え、ケルンテン門劇場が取り壊された後、1876年にエドゥアルドがザッハー・ホテルを建てた。
スペイン式宮廷作法とフランツ・ヨセフ皇帝
オペラ座裏にホテルザッハーが建った頃、宮廷では先代の病弱な皇帝がプラハに隠居し、フランツ・ヨゼフ皇帝在位中だった。18才の若さで帝位に昇ったフランツヨセフ皇帝は、多民族国家維持のため官僚で身を固め、日夜執務に励んでいた。
当時は、宮廷でパーティがあると、伝統あるスペイン式宮廷作法に従い、先ず皇帝に食事がサービスされた。その次が皇后、それから来賓へのサービスという順番だった。そして、その食事中、皇帝が食器を持つ時のみ他の人も食器を持つことが許された。そのため、多忙だった皇帝が急いで食事を取ると、招かれた王侯貴族はほとんど食器を手にすることができなかった。
幸い、美しい皇后エリザベートが食器を手にしている間は、皇帝は食器をもったまま、皇后の食事が済むのを待っていた。ところが、皇后様はダイエットのためにスープぐらいしかお召しにならなかったので、招かれた人々は空腹のまま王宮を出てきて、王宮近くのホテル・ザッハーで食事を取った。
ホテル・ザッハー大繁盛
そのホテル・ザッハーの名をヨーロッパ中に広めたのは、エドゥアルドの亡き後にホテルを支え続けた未亡人アンナだった。百年も前に社交界で葉巻をくゆらせたという「肝っ魂母さん」の力でホテル・ザッハーはヨーロッパの社交の中心となったのだそうだ。そのアンナ・ザッハーの肖像画はホテル内レストラン入口右の壁にある。
