トップページウィーン市内の散策ウィーン旧市街地の徒歩観光ロプコヴィッツ宮殿とカプチーナーグルフト

1998/07/01

旧市街地の観光3/5:オペラ座からシュテファン

ベートーベン「英雄シンフォニー」初演

カフェー・ティロラーホーフを過ぎて行くと、次の左の角から奥の突き当たりに建物が見える。数年前に王宮から劇場博物館が移されたロプコヴィッツ宮殿である。ロプコヴィッツ侯爵は音楽家ベートヴェンのパトロンであったために、1804年にベートーヴェン自身による第三交響曲の初演がこの宮殿で催なわれている。

中世のウィーンには様々な家畜を売った動物市場が点々とあった。その中世時代、まだこの宮殿が無かった1350年頃、ここにはブタ市場だった。アウグスティン教会の横の臭くうるさかったブタ市場が教会からのクレームによって新ケルンテン門に移された後は、その小さな広場で首切り処刑が行なわれるようになり、ここで処刑された人々の記録も残る。

トルコ戦争の救世主

ロプコヴィッツ宮殿を遠く突き当たりに見て、さらに数十メートル進むとノイァーマルクトに出ることができる。ノイァーマルクトに出てすぐ左には、十字架を前に差し出す E MARCUS D`AVIANO像が立つカプチン教会がある。
MARCUS D`AVIANOは1683年にオスマン・トルコに包囲されたウィーンを異教徒オスマン・トルコから救い、この教会に葬られたカプチン派神父である。ローマ法王特使としてポーランドまで出向いた彼は、ポーランド王ヤン・ソビエフスキーを説得し、ソビエフスキーは援軍を率いてウィーンまで来た。この援軍無くしてウィーンは救われなかったはずである。

ハプスブルク皇帝霊廟

MARCUS D`AVIANO像に向かって左には、四角く石枠で囲まれた間口の上方に F皇帝の墓所/Kaisergruftの文字が掲げられる入り口がある。これが今も使われ続ける歴代ハプスブルク王朝の霊廟である。

ここはルネサンスから現代に繋がる棺の様式を見ることができるという世界で唯一の霊廟でもある。美術史美術館に展示されるスペインバロックの巨匠ヴェラスケスが描いたマルガレータ・テレジアは、スペイン王フィリップ四世と、ウィーンからスペインへ嫁ぎ、マリアナ諸島の名前になったマリア・アンナとの間に生まれ、スペインからウィーンの皇帝レオポルド1世のもとに嫁ぎ、ウィーンで世を去っている。彼女の棺にはマルガレータの頭文字Mが認められる。大きなマリア・テレジアの棺には、彼女が愛した夫であり皇帝であったフランツ・シュテファンも一緒に眠っている。マリア・テレジアが「マミーフックス」と読んだ教育係りのフックス伯爵夫人は、ここに眠る唯一の庶民である。ナポレオン妃マリー・ルイゼ。恋愛貴俗結婚を選び、ここに入らなかった一次対戦最初の犠牲者、皇太子フランツ・フェルディナンドの石版。実質上の最後の皇帝フランツ・ヨゼフ、世界一美しい皇后と言われたエリザベート、その二人の長男、映画「うたかたの恋」で知られる悲劇の皇太子ルドルフの三つの棺は、いつも献花が絶えない。また、1989に97歳の誕生日直前に無くなられた最後の皇后ツィータの真新しい棺もここにある。

1998年7月高崎守弘

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