トップページ > ウィーン市内の散策 > ウィーン旧市街地の徒歩観光 > シュヴァルツェンベルク宮殿と皇帝賛歌
旧市街地の観光4/5:オペラ座からシュテファン
シュヴァルツェンベルク宮殿
このカイザー・グルフトと歩行者天国ケルンテン通りの間には銀行やレストラン等が軒を並べているが、ここには百年ほど前まで G シュヴァルツェンベルク宮殿があった。後にホテルシュヴァルツェンベルクを開くことになる、そのシュヴァルツェンベルク家の宮殿である。改めて見るとかなりの規模の宮殿だったのがわかるが、ここにあった宮殿内の礼拝堂でハイドンのオラトリオ(宗教歌劇)「天地創造」と「四季」が1798年4月29日と1801年4月24日に作曲家の指揮で初演されている。1799年3月19日旧王宮劇場と、1801年5月29日の王宮における初演はその後である。ここにあったシュヴァルツェンベルク宮殿の絵は、ハイドン記念館(独)に展示されている。
触診法のはじまり
その他、カプチン教会に向かってすぐ右の建物の2階の壁に記念プレートが見つかるが、これはここに住んだ医師 G アウエンブルッガー(日)の記念プレートである。飲食店経営者を親に持った彼は、親のように樽を叩きはしなかったが、人間を叩いた(1754年頃)。これが触診法の始まりだそうだ。彼はナポレオンがウィーンに来た年1809年にここで他界している。
ウィーンの新しい市場:ノイァーマルクト
この広場ノイァーマルクトとは新市場の意である。1234年にできたウィーン2つ目の市場を、それまでのホーエァマルクト(丘上の市場)に対して新市場と呼んだからだ。このような市場は、食料の流通機構ができてなかった頃に生産者から直接品物を買ったため、都市には必要欠くべからざるものであった。この市場では穀物、小麦粉等が扱われたために、別名メールマルクト(粉市場)とも呼ばれた。15、16世紀にはこの広場で長い槍を持って当たり合う騎乗試合が行なわれ、17世紀からは宮廷ソリ遊び広場にも使われた。
マリア・テレジアはこの広場でソリ遊びを楽しむために王宮から地下道を造り、それを移動してこの広場まで来たそうだ。この優雅なソリ遊びは、ウィーン会議の時が最後でそれ以後は行われなくなった。
ラファエル・ドンナーの泉
この広場の真ん中には、彫像付きの H プロヴィデンティアの泉、通称ドンナーの泉がある。それまで広場にあった2つの泉のかわりに、ウィーン市の依頼でバロック彫刻家ラファエル・ドンナーが作り、1739年に置かれたものだ。マリア・テレジアは、領主によってではなく、市民によって初めて置かれたこの裸体像を風紀上の理由で取り去ってしまい、現在そこにあるのはコピーで、鈍い光を放つ鉛で作られたオリジナルは、1921年からベルヴェデーレ宮殿下宮バロック美術館に展示されている。ドンナー像は楽友協会とコンツェルトハウスのちょうど真ん中あたり、シュバルツェンベルク広場と交差する道路の中央分離帯にある。
ハイドン作曲のこの国の本当の国家
また、この広場のホテル・ヨーロッパの隣の建物でハイドンが1797年に皇帝フランツの誕生日の記念に I「皇帝讃歌」を作曲している。いわば日本での「君が代」である。かつてハイドンが住んだ建物は失われてしまい現在の建物は後の時代のものだが、入口左に記念プレートがあり、その楽譜が刻まれている。この歌はその後帝国歌として歌い継がれたが、1次大戦後は唄われなくなり、1922年からは、その替え歌が流行っていたドイツで国歌として使われるようになった。世界で最も美しい国歌と言われるドイツ国歌はこの広場から始まったのである。ちなみに現在のオーストリアの国歌は2次大戦後のコンクールで選ばれたモーツアルトのミサ曲のメロディである。
ダイエットケーキのオーバァ・ラーァ
散策に疲れたら、その向かい側の J カフェー・コンディトライ・オーバァ・ラーァで一息つくのも悪くはない。ここならサッハァトルテとは違う、日本人好みの甘さを控えたケーキが食べられる。ここのトイレは店内地下にある。