トップページウィーン市内の散策ウィーン旧市街地の徒歩観光シュヴァルツェンベルク宮殿と皇帝賛歌

1998/07/01

ウィーン旧市街地の観光4/5:オペラ座からシュテファン

関連項目:
1/5:ザッハーホテルとザッハートルテ
2/5:カフェーモーツアルトとティロラーホーフ
3/5:ロプコヴィッツ宮殿とカプチーナーグルフト
5/5:ケルンテン通りとシュトック・イム・アイゼン広場

シュヴァルツェンベルク宮殿

このカイザー・グルフトと歩行者天国ケルンテン通りの間にはペンションやレストラン等が軒を並べてます。この場所には百年ほど前まで G シュヴァルツェンベルク宮殿がありました。後にホテルシュヴァルツェンベルク(2008年閉鎖)を開くことになる、そのシュヴァルツェンベルク家の宮殿です。改めて見るとかなりの規模の宮殿だったのがわかります。

ここにあった宮殿内の礼拝堂で1798年4月29日と1801年4月24日にハイドンの宗教歌劇オラトリオ「天地創造」と「四季」が作曲家の指揮で初演されてます。1799年3月19日旧王宮劇場と、1801年5月29日の王宮における初演はその後です。ここにあったシュヴァルツェンベルク宮殿の絵は、ハイドン記念館(独)に展示されてます。

打診法のはじまり

その他、カプチン教会に向かってすぐ右の建物の2階の壁に記念プレートが掲げられてます。これはグラーツとウィーンで医学を学び、晩年ここに住んだ医師 G アウエンブルッガー(日)/Leopold Auenbrugger(1722-1809)の記念プレートです。

ウィーン南方200キロのグラーツで旅館兼居酒屋(Gastwirts)黒いムーア人/Zum Schwarzen Mohrenの経営者を親に持った彼は、親から学んだ「樽を叩き」法で人の胸を叩き(1754年頃)、その反響音と解剖所見との研究結果を1761年に「人体胸部叩打による内部潜在疾患検出のための新発見」(Inventum Novum ex Percussione Thoracis Humani Interni Pectoris Morbos Detegendi)で論文発表、これが打診法の始まりです。これをフランスのコルサヴィールが1808年に紹介を始め、1810年にはフランス語訳を出版し世に広まってゆきます。

偉大な医師アウエンブルッガーはナポレオンがウィーンに来た年1809年にここで他界しました。

関連リンク:
Leopold von Auenbrugger(独)

ウィーンの新しい市場:ノイァーマルクト

この広場ノイァーマルクトとは新市場の意です。1234年にできたウィーン2つ目の市場を、それまでのホーエァマルクト(丘上の市場)に対して新市場と呼んだからです。このような市場は、食料の流通機構ができてなかった頃に生産者から直接品物を買ったことから、都市には必要欠くべからざるものでした。

この市場では穀物、小麦粉等が扱われたために、別名メールマルクト(粉市場)とも呼ばれました。15、16世紀にはこの広場で長い槍を持って当たり合う騎乗試合が行なわれ、17世紀からは宮廷ソリ遊び広場にも使われたそうです。

マリア・テレジアはこの広場でソリ遊びを楽しむために王宮から地下道を造り、それを移動してこの広場まで来たそうです。この優雅なソリ遊びは、ウィーン会議の時が最後でそれ以後は行われなくなりました。

ラファエル・ドンナーの泉

この広場の真ん中には大きな彫像群で飾られた H プロヴィデンティアの泉、通称ドンナーの泉が見えます。それまで広場にあった2つの泉のかわりに、ウィーン市の依頼でバロック彫刻家ラファエル・ドンナーが作り、1739年に置かれたものですが、マリア・テレジアは、領主によってではなく、市民によって初めて置かれたこの裸体像を風紀上の理由で取り去り、現在そこにあるのはコピーです。鈍い光を放つ鉛で作られたオリジナルは、1921年からベルヴェデーレ宮殿下宮バロック美術館に展示されてます。この彫刻家ドンナーの姿を留めるドンナー像は、楽友協会とコンツェルトハウスのちょうど真ん中あたり、シュバルツェンベルク広場と交差する道路の中央分離帯に見つかります。

ハイドン作曲のこの国の本当の国家

また、この広場のホテル・ヨーロッパの隣の建物でハイドンが1797年に皇帝フランツの誕生日の記念に I「皇帝讃歌」を作曲してます。いわば日本での「君が代」です。かつてハイドンが住んだ建物は失われてしまい、現在の建物は後の時代のものですが、入口左に記念プレートが掲げられており、それに皇帝賛歌の楽譜が刻まれてます。

この歌はその後帝国歌として歌い継がれたもの、一次大戦後の混乱期1922年に唄われなったそのときに替え歌が流行っていたドイツで国歌として使われるようになりました。世界で最も美しい国歌と言われるドイツ国歌は、ウィーンのハイドンが作曲し、ウィーンの皇帝に献呈され、ウィーンとオーストリア帝国で歌われ続けたものです。ちなみに現在のオーストリアの国歌は2次大戦後のコンクールで選ばれたモーツアルトのミサ曲のメロディです。

ダイエットケーキのオーバァ・ラーァ

散策に疲れたら、その向かい側の J カフェー・コンディトライ・オーバァ・ラーァで一息つくのも悪くはなでしょう。ここならサッハァトルテとは違う、日本人好みの甘さを控えたケーキが食べられます。ここのトイレは店内地下です。

1997年に出版されたウィーン観光詳細ガイドブック(絶版)のために1995年に執筆した文章を公開
高崎守弘

ウィーン旧市街地の徒歩観光5/5へ進む